堀井学 若い頃はスケートのメダリスト!ライバルとの感動秘話が泣ける

たくさんのメダル 政治家

堀井学さんは衆議院議員を務めていますが、いったいどんな人なのでしょうか。

実は若い頃はスピードスケートの選手で、オリンピックで銅メダルを獲っているメダリストでもあるんですよ。

選手時代と幼少期の感動秘話もご紹介します。

ぜひ最後までお読みください。

堀井学の若い頃はスピードスケートのオリンピックメダリスト!

堀井学さんは北海道室蘭むろらん市出身の衆議院議員です。

若いころはスピードスケートの選手で、1994年のリレハンメル五輪(ノルウェー)で男子500мで銅メダルを獲得している選手です。

オリンピックや世界選手権などの世界大会で通算27回も優勝するという、ものすごい成績を残している方なんです。

リレハンメルオリンピックで銅メダルを獲ったのは専修大学4年生の時でした。

続く1998年の長野五輪では男子500мと1000мに出場して残念ながらメダルはなし。

2002年のソルトレークシティー五輪(アメリカ)にも出場してその後に引退しています。

3大会連続オリンピック出場ってすごいですよね。

12年にも渡って、世界のトップ選手しか出ることのかなわないオリンピックに出続けるなんて、なかなかできませんよね。

とても自分に厳しい人なのだと思います。

政治家としては、スケートを引退後に北海道議会議員を務め、2期目の途中で衆議院議員に転身したのです。

スポーツ選手や有名人にありがちな、スカウトされていきなりになる形とは違い地方議員を経て国会議員になっていることにも注目です。

※ずっと自民党で活動していましたが現在は自民党を離党しています。

関連記事「堀井学の辞職はいつか過去の事例から大予測!後任の人物は高橋祐介?」もぜひ合わせてお読みください。

堀井学の若い頃!ライバル清水宏保との感動秘話が泣ける

堀井学さんのスピードスケート選手時代のライバルといえば、長野オリンピック等でメダルを獲得している清水宏保しみず ひろやすさんです。

ともに北海道出身で年齢は堀井さんのほうが二つ上。

同じ白樺学園高等学校に通い、一年間1年生と3年生として切磋琢磨した先輩と後輩でもありました。

 オリンピックだけを見ると清水選手のほうが良い成績を残しているように見えますが、舞台裏では感動のエピソードがありました。

二人が一緒にオリンピックに出場したのは3大会。

中でも長野大会は自国開催だったので国内の注目度も高く両者の重圧は図り知れません。

長野五輪が近づいた頃、集中力を高めるため報道陣に言葉を発しなくなった後輩(清水宏保さん・当時23歳)を思いやって、堀井さん(当時25歳)は率先して報道陣の前に出たそうです。

清水宏保さんはのちに

僕は報道陣の取材から逃げてしまったが、(堀井さんが)1人で背負ってくれた。

だからレースがしやすかった。

引用:東京新聞(2021年12月11日

と回想しています。

長野オリンピックのシーズンは、新しく導入された「フラップスケート」というスケート靴になじむのに苦しみ、思うようなタイムが出なくなっていた堀井さん。

長野オリンピックの500мでは堀井さんが先にレースを終えて、自分にはメダルはないと決まったような状況の中で、その後に清水選手が走り出す際には「がんばれよ」と声をかけてくれたと言います。

ライバル同士の選手は大会中には口も利かないという話もよく聞くので、後輩にストレートに「がんばれよ」と言ったというのはびっくりでもあります。

そのレースで清水さんが金メダルです。

清水さんの金メダルが決まると「おめでとう!」と13位に終わった堀井さんが祝福してくれたといいます。

ちなみにこの時はお二方ともすでに高校は卒業してそれぞれの所属先でのオリンピック出場だったので、かつての同じ高校の先輩後輩という間柄でした。

ライバルに対し、率直に「がんばれよ」「おめでとう」と言える堀井さん。

当時から怖そうな印象がありましたが、こんなエピソードを聞くと温かい気持ちになりますよね。

当時メダルを獲得した時の清水さんは「堀井学さんという先輩がいたからここまで来れた」とインタビューで語っています。

高校時代からのライバルでもありながら、報道陣への対応をこなし自分を守ってくれた先輩、自分が負けても率直に声をかけてくれる先輩…いろいろな思いがこもった清水宏保さんの言葉だったと思います。

素敵な関係ですね。

ちなみに、お二方の主な成績はこのような感じです。

よろしければご覧ください。

大会名など堀井学さん清水宏保さん
リレハンメル五輪銅メダル(男子500м)5位(男子500м)
長野五輪13位(男子500м)
17位(男子1000м)
金メダル(男子500м)
銅メダル(男子1000м)
ソルトレークシティー五輪14位(男子500м)
22位(男子1000м)
銀メダル(男子500м)
<世界大会の通算成績>優勝27回優勝34回
堀井学さんと清水宏保さんの主な成績

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堀井学の子供時代のエピソードも泣ける

堀井学さんは、全国からスケートのエリートが集まる「白樺学園高等学校」に通いました。

のちにライバルとなる清水宏保さんと出会ったのもこの高校でした。

北海道の芽室町にある私立高校です。

スポーツ推薦で入学したと誰もが思うでしょうが、違いました。

受験をして入学していました。

小学生時代のことからご紹介していきますね。

堀井選手はおじいちゃん子だったそうです。

おそらく同居していたのではないかと思います。

小学生の時に友達の影響を受けてスケートの少年団に入りたいと両親に言った堀井さん。

「スケート靴を買うお金がない」と言われたそうです。

そこでおじいさんに相談すると

「まなぶ、スケート靴はおじいちゃんが何とかしよう。

そして将来オリンピック選手、日本代表をめざそう」

「おじいちゃん、無理だよいきなり」

「一生懸命やればなんでもできる」…という会話があったそうです。

こうしてスケートを始めることができた堀井さん。

記録は思ったようには伸びず、何度も投げ出しそうになったとのこと。

中学3年になり三者面談で進路を決めるときには、中学校の先生も親御さんもスケートでスポーツ名門校に行くことはまったく考えておらず、堀井さん本人だけが「名門の白樺学園に行きたい」と言ったのです。

「あんたに行けるわけがない」「スポーツで飯は食えない」などと両親に言われ、堀井さんはあきらめかけたそうです。

ところが、それを見ていたおじいさんが

「おまえは、親の反対にあって夢をあきらめるのか?」と声をかけ、堀井さんはもう一度父の説得に向かいました。

そこで父親から「次の大会で16位以内に入ったら白樺学園を受験してもよい」と条件をもらったそうです。

それを聞いた母親は「お前が16位になんて入れるわけがない。もしそんなことが出来たら、ハダカで逆立ちして町内一周したる」と言ったのだとか。

結局、堀井学さんは次の大会で0.16秒差で16位入賞を果たして白樺学園を一般受験することをゆるしてもらい、合格して入学したのです。

しかし高校入学後も順風満帆ではありませんでした。

白樺学園高校に入学しスケート部の練習に参加して愕然としたそうです。

そこには日本全国から速い選手が特待生として集まっていて、堀井さんより速い女子選手までいたと言います。

どうやら入試を受けて入学したのは堀井さんだけだったようで、堀井さんは「とんでもないところに来てしまった」と不安になったそうです。

高校1年の時に、大会で堀井さんだけが予選落ちしたことがありました。

監督とコーチから宿舎の部屋に呼び出された時には「お前なんかやめてしまえ」と怒鳴られると思い、がくがく震えながら行ったところ、

「堀井は、日本を代表する選手になるためにここに来たんじゃないのか。

お前が一生懸命やっているのはわかる。

お前は特待推薦で入部したのではないから、他の選手と同じことをしていてはダメだ。

期待しているからな、あきらめるなよ」

と言ってくれたのだそうです。

そこからスピードスケート選手としての上記のような活躍につながっていったのです。

おじいさんと白樺学園高校の監督・コーチに共通する激励の言葉

「一生懸命がんばれ」

「あきらめるな」

これに素直に応えてスケートに向き合い続けた堀井さん。

簡単な道のりではありませんでしたね。

若いころの自分自身の経験を忘れることなくこれからも活躍してほしいと思います。

※堀井学さんは2024年8月28日に議員辞職しました。

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