徳永エリの若い頃の職業は?実はみのもんたの付き人もしていた!

会議のメモ 注目の人物

徳永エリ氏は立憲民主党の参議院議員ですが、若い頃はどんな職業に就いていたかご存知ですか?

徳永エリ氏はみのもんたさんの付き人もしていたそうですよ。

よろしければ最後までお読みください。

今回は参議院議員の徳永エリさんについてです。

女優の徳永えりさんとは別の方ですのでご了承ください。

徳永エリの若い頃の職業は

徳永エリさんは実は20歳前後の若いころからテレビに出る仕事をしていたんです。

徳永エリさんは現在62歳です。

はじめて参議院議員となったのは2010年で、現在は3期目を務めています。

徳永さんは高校を卒業するまでは北海道で暮らしていましたが、歌手などを目指して東京に出ていきました。

そしてテレビ業界に近づくために、港区のテレビ朝日の社屋の近くの喫茶店で働き始めたそうです。

その読みは当たっていて、モデルをやらないかなどの誘いをもらうようになったといいます。

しかし慎重なところもあって、その誘いにすぐについて行くことはせずにまずは裏方を目指しました。

北海道にいる母親には心配をかけないように「東京で勉強している」と言って、実際に次の年に法政大学に合格しています。

テレビの仕事が多忙になって、のちに法政大学は中退しているのですが、在学中から東京のキー局で「ルックルックこんにちは」「こんにちは2時」などの名だたる情報番組で事件や社会問題に切り込むリポーターとなったのです。

徳永さんが、テレビの裏方に入るきっかけとなったのは「欽ちゃんのどこまでやるの(欽どこ)」の雑用兼裏方の募集を見てアルバイトを始めたことでした。

徳永さんは、与えられた裏方の仕事だけでなく他のことにもよく気が付くためいろいろな面で頼られるキャラクターであり、あだ名が「若年寄り」になったそうです。

そんな中で関係者の目にとまり、若いリポーターが必要になったと言って頼まれたのがリポーター生活の始まりだったのです。

なんでも、みのもんたさんの事務所でみのもんたさんの付き人を務めたりしながらリポーターとして活躍するようになったそうですよ。

出演していた番組リポートした出来事など
「ルックルックこんにちは」
(日本テレビ)
1981~83ロス疑惑(1981~82)
大韓航空機撃墜事件(1983)
「森本ワイドモーニングEye」
(TBS)
1984~87グリコ森永事件(1984~85)
御巣鷹山・日航機墜落事故(1985)
「こんにちは2時」
(テレビ朝日)
1984~87同上
徳永エリ氏リポーター時代の出演歴

こちらは、ご本人のプロフィール情報からまとめたものですが、1984~87年は同じ時期に別の局の番組に出演していたのでしょうか。

多忙なリポーター生活だったことでしょう。

その後はハワイに渡り、ホノルル市にて映像制作プロダクションを経営していました。(1990年~94年)。

徳永エリは若い頃にみのもんたの付き人をしながらリポーターを務めた

徳永エリさんいわく「ひょんなことから」オフィスモンタ(みのもんたさんの事務所)に入ったということです。

しかし、彼女は自身のホームページで「歌手を夢見て上京した」と語っていますので、芸能界を目指して東京へ行ったのは間違いないのだと思います。

決して「ひょんなことから」ではないような気がしますね。

残念ながら、徳永さんがみのもんたさんの付き人をしていた時のエピソードなどは見つけられなかったのですが、本人のプロフィールでも紹介されていますので間違いないでしょう。

みのもんたさんとの思い出のエピソードもいつか聞いてみたいです。

ところで、付き人とは具体的にはどんなことをするのかというと、「有名人などの個人的な世話やサポートをすること」らしいです。

衣類の手入れ、食事の準備、荷物の運搬、スケジュールの管理など多岐にわたり、まさに「下積み」であり、付き人自身もデビューを目指していることが多いそうです。

マネージャーとの違いについては、マネージャーは主にビジネス面をサポートするマネジメントのプロであり、自分がタレントになるということはないみたいですね。

付き人とマネージャーにはけっこうな違いがあるのですね。

徳永エリさんは一連のワイドショーに出演したあとには、ハワイに渡りホノルル市内で映像制作プロダクションを設立しています。

若いころからテレビ関係の仕事をしていたこともあり、映像制作は得意分野なのかもしれません。

フットワークが軽く、いろんなことに取り組んできた方という印象です。

徳永さんはまた、この頃に結婚して息子さんを出産しています。

息子さんはハワイで生まれていると思われます。

徳永エリさんの家族に関してまとめた記事「徳永エリの息子と父親母親など家族情報まとめ!息子とは超仲良し!」もあわせてお読みください。

徳永エリは国会議員になる直前もリポーターだった

徳永さんは結婚や離婚を経験されるなどして、ハワイから息子さんを連れて故郷の北海道に戻っています。

1994年から、2010年に議員になるまでの間は北海道で平日の午前に放送される主婦向けの人気番組「のりゆきのトークDE北海道」で15年間ほどリポーターを務めていました。

メインキャスターの佐藤のりゆきさんのもとで進められる情報バラエティー番組です。

こちらは筆者もよく見ていた番組です。

番組が始まったころは筆者は主婦ではなく学生でしたが、「のりゆきのトークDE北海道」は学生の間でもひそかに人気のある番組だったので、学生仲間でも見ている人は多かったですね。

そういえば偶然かもしれませんが、この番組には佐藤のりゆきさんがまるでみのもんたさんのように視聴者と生電話をつないで悩みを聞くというコーナーもありました。

徳永さんは番組に数名いるリポーターの中の一人で、番組に出演している日と出演していない日がありました。

テレビに出ていない日は、取材に出かけたり放送の準備をしたりしているのです。

徳永さんは、医療や社会問題などのテーマを扱うリポーターでいらっしゃいました。

ほかにもグルメや暮らし系、エンタメやお笑い系がテーマの日もあり、それぞれ担当するリポーターが分かれていました。

このリポーターの仕事はテレビ局の社員ではなく出来高制のような契約であり、徳永さん自身はフリーランスだったそうです。

徳永さんはリポーターとしてテレビの仕事をしながら同時期に札幌市内で飲食店も経営しており、調理師やワインコーディネーターの資格も持っています。

そんな中で、民主党から声を掛けられ2010年48歳の時に参議院議員に立候補、当選して現在に至っています。

2010年に当選した民主党の女性議員は「小沢ガールズ」と呼ばれることが多いのですが(例:谷亮子さんなど)、徳永氏は「小沢(一郎)さんにはほとんど会ったこともなく、立候補も別の方から打診されているので、私は小沢ガールズではありません」と語っています。

徳永エリさんはシングルマザーとして子育てをしながら、テレビ界をはじめ様々な分野で活躍してきた女性だったのですね。

ここまで徳永エリさんの若いころからの職業などを中心に調査してきました。

今後の活躍にも期待したいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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