明井寿枝バレー審判員の勤務校 石狩翔陽高校とは!普段はどんな先生?

バレーボール スポーツ

明井寿枝(みょういすみえ)さんは、パリオリンピックのバレーボールの審判員に選ばれた、ただ一人の日本人です。

本職は高校の先生で、勤務校は北海道石狩翔陽いしかりしょうよう高校です。

どのような学校で、明井さんは普段はどのような先生なのでしょうか。

これまでの明井さんの足跡も深堀りしていきたいと思います。

明井寿枝審判員は高校教師!石狩翔陽高校とは

明井寿枝さんが現在勤務するのは、北海道石狩翔陽いしかり しょうよう高等学校です。

北海道の札幌市と隣接するベッドタウンの石狩市に位置しています。

もともとは北海道石狩高等学校という学校でしたが、2001年から北海道石狩翔陽高等学校と校名が変わり総合学科の高校に生まれ変わりました。

学校の偏差値は46とされています(みんなの高校情報2024年度版による)。

校舎は、2009年に公開された映画「ハルフウェイ」(北乃きい、岡田将生主演)のロケに使われていたんですよ。

石狩翔陽高校は北海道立の学校で、ごく一般的な公立高校です。

名門の部活動は、まずはボート部。

近くに茨戸川ばらと がわが流れ漕艇場そうていじょうがあることから、高校としては珍しくボート部があり、全国大会の常連です。

2024年も男女それぞれ全国大会に出場するメンバーがいます。

ダンス部も強豪として有名ですね。

ダンス部もまた、2024年も順調に全国大会の出場権を獲得しています。

バレーボール部は女子だけで、特に名門というわけではないようですね。

7人制ラグビーにレフェリーを務める桑井亜乃さんは、なんとリオ五輪では選手として出場していたんです。よろしければ「桑井亜乃は三姉妹の末っ子!両親のスポーツ好きからも大きな影響が」も合わせてお読みください。

明井寿枝審判員は学校ではどんな先生?

みょういすみえさんは現在51歳で、保健体育の教師でバレーボール部(女子)の顧問もしています。

バレーボール部自体が特に名門というわけではありませんが、バレーボール部の生徒たちは

「授業の時のみょうい先生は優しくて楽しい」「部活になると職人みたいになる」

と語っています。

生徒たちと楽しく学校生活を送っている様子が伝わってきますよね。

石狩翔陽高校での勤務は4年目だそうです。

7月上旬、石狩翔陽高校ではみょうい先生のオリンピック派遣壮行会が、ボート部とダンス部の全国大会の壮行会とともに行われました。

壮行会の中でみょうい先生は、

「外の世界を体験することはとっても刺激になること。ぜひみんなにも外の世界を見てほしい」

「帰ってきたら、オリンピックってこんなところだったよと、みんなに色々なおみやげ話をしたいと思っています」

と語りました。

生徒の皆さんも、先生の活躍と帰国後に体験談を聞けることを楽しみにしていると思います。

パリオリンピックで初採用の新競技・ブレイキンについて調査した記事「ブレイキン【パリ五輪新競技】とは何?ブレイクダンスとの違いは?」も、ぜひ合わせてお読みください。

明井寿枝さんの経歴!審判員への経緯は意外だった


明井さんは北海道室蘭むろらん市の出身で、自身がバレーボールに出合ったのは中学生の時でした。

体育教師を目指して東京の日本女子体育大学で学び、大学でもバレーボール部で活動しました。

大学2年生からはマネージャーに転向して、裏方の仕事をしたそうです。

マネージャーの業務は、その後審判になるうえで大いに役立ったと明井さんは語っています。

大学卒業後は教員試験を何度か受験し、念願通り北海道の公立高校の教員になりました。

公立高校の先生には転勤があります。

みょうい先生も北海道各地を転勤しながら教員を続けてきました。

これまでの勤務地は都市部ばかりではなく、生活や交通の便にも恵まれていないところが多かったようです。

試合に参加するにしても、審判の研修や試験などの経験を積むにしても、移動や宿泊などの負担は大きかったのではないかと思います。

しかし、田舎でバレーボールの審判員が足りずに明井さんが手伝うようになったことが、のちにオリンピックの舞台へとつながるきっかけになったと言えそうです。

1校目に赴任したのは北海道大樹たいき高等学校。

大樹町は人口よりも牛の数のほうが多いという酪農の町です。

小さな地方大会で審判が足りなかったのため明井さんがやっているうちに、審判員の資格を取ることを関係者から勧められたそうです。

まずは北海道内で認定される資格を取り、その後に日本バレーボール協会公認の資格(Ⅽ級という下位のもの)を取りました。

2校目の赴任地は夕張ゆうばり市にある北海道夕張緑ヶ丘実業高等学校。

こちらは体育の授業でバレーボールができないほどの生徒数の少なさだったといいます。

バレーボール部も一年ほどで活動ができなくなり、しかしそのぶん外部で経験を積む余裕が生まれたとのこと。

B級、A級と審判の資格をレベルアップしていきました。

その後この高校が閉校になったことで明井さんはまた異動しました。

3校目小樽おたる市にある北海道小樽商業高等学校でした。

こちらでは女子の人数が多く、女子バレーボール部の顧問として指導ができたそうです。

その後に北海道札幌手稲ていね高校を経て2021年から石狩翔陽高校に勤務しています。

オリンピックで審判員を務めるのは、2021年の東京大会に続いて2大会目の明井さん。

前回は自国での開催ということに加えてコロナ禍でのオリンピックだったので、ある意味異例の雰囲気だったと思います。

今回のパリ大会はみょういさんにも全く違ったものに感じられるかもしれませんね。

オリンピックで審判員を務めることは、ただならぬ緊張感があることでしょう。

無事に名誉ある審判員の任務を全うしてほしいですね。

活躍を楽しみにしています。

最後までお読みいいただきありがとうございました。

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