オズワルド畠中悠の生い立ち!出身は北海道で実家はコンブ漁師!

砂浜の鳥 有名人

オズワルドの畠中悠さんは北海道の戸井町の漁師の家庭に生まれ育ちました。

今回は畠中悠さんの生い立ちを幼少のころからさかのぼってご紹介します。

ぜひ最後までお読みください。

オズワルド畠中悠の生い立ち!

オズワルドの畠中悠はたなかゆうさんの生い立ちをご紹介します。

1987年12月7日生まれの36歳です。

北海道戸井町といちょうの出身で家族構成は両親、4歳上のお兄さん、2歳上のお姉さん、そして父方の祖父母も同居していました。

畠中さんが幼かったころはお父さんは遠洋漁業でカニやサンマなどを獲っていたそうです。

その後に昆布漁師に転身しています。

遠洋漁業だった頃は、お父さんは数か月間遠く海に出かけてたまに帰って来る生活でした。

畠中さんにとってお父さんは「たまに帰って来る怖い人」だったそうです。

小学校や中学校時代に通っていた学校は全校生徒が50人前後、自分の学年はなんと17人。

幼稚園に入ってから中学を卒業するまで周りの友人の顔ぶれがずっと同じで、グループとかクラスのカーストのようなものは一切なく、みんなとても仲が良かったのだとか。

畠中悠さんは子供時代のことを振り返って

「自分の(クラス内の)ポジションとか、全然わからない。みんな仲良くてずっと横並びで」

「中学の時は男子がみんなオンバト(NHKの「爆笑オンエアバトル」)を見てて、ビデオの貸し借りとかして」

と振り返っています。

高校はとなり町函館市の函館工業高校へ。

高校は一学年300人ほどもいる大きな学校で、物心ついた時からずっと一緒だった友達に囲まれた環境から離れてしまい、友達の作り方が分からなかったといいます。

半年間くらい、一緒にお弁当を食べる友人がいなかったそうです。

お母さんが早起きして、友達に見せても恥ずかしくないように彩りのいいお弁当をつくって持たせてくれたのに、まさか一人ぼっちで食べているとは思っていないだろうなあと考えると、畠中さんは泣けてきたそうです。

半年くらいたったところで声をかけてくれた友達がいて、そのあたりから友達ができていったそうです。

そして紆余曲折はありますが、この友人とともに数年後に東京に出て吉本(NSC)に入ることになるのです!

ちなみに畠中悠さんが子供だった頃は、戸井町は人口が4000人ほどの町でした(現在はさらに減っています)。

そして畠中さんが高校生の時に初めて町にコンビニができたのだとか。

なかなかの田舎だと思います。

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オズワルド畠中悠の出身は北海道戸井町で実家は昆布漁師!

畠中悠さんの実家は漁師で、畠中さんが高校生のころまではカニやサンマなどの遠洋漁業、その後は昆布漁師に転身、現在も昆布漁師を続けています。

昆布漁師に転身してからは、家族総出の作業があって子供たちも手伝うのが当たり前の地域柄でした。

夏は、昆布漁の手伝いがあるので子供たちは学校の1、2時間目の授業に出なくてもいい、そんな地元だったそうです。

夏の朝が特に忙しく、両親が昆布を採って運んできて、家族皆で自宅の前の砂利の上にその昆布を広げて天日干しをします。

数日たったものは取り込んでシワを伸ばし、また天日干しだそうです。

夏休みなどは朝の9時からテレビで「スラムダンク」が放送されるのに、それが見られなくて嫌だったと畠中さんは語っていました。

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畠中悠オズワルド結成までの経緯

畠中悠さんは函館工業高校を卒業して、いったん地元のチョコレート工場に就職しています。

自宅から通える勤務先だからということで、あまり深く考えずに決めたそうです。

ある日の夜勤の時に、チョコレートが入っている大きなタンクのホースが外れており、気が付いた時には床じゅうにチョコレートが漏れていたそうです。

自分が正社員で、パートさんと二人で勤務中の出来事だそうです。

パニックになってもういやだ、やめる!ということになり辞めてしまったんだとか。

次に地元の金物屋さんに就職しました。

こちらは楽しかったけど給料は安かったとのこと。

そんな風に過ごしていた折の2011年23歳の時に、高校の時に初めに話しかけてくれた友人とともに東京へ出てNSC(吉本総合芸能学院)に入学したのです。

東日本大震災から間もなくのことで、実家の家族にも理由を言わずに上京しました。

なんでも、学費が吉本は40万円、人力舎が60万円だったことから安いほうの吉本を選んだのだそうですよ。

地元から一緒に上京したその友人とお笑いコンビを組み、私生活も二人の共同生活で芸人人生が始まりました。

ただ、笑いのジャンルが合わなかったこと、さらに生活面で合わない部分も出てきて、半年ほどでコンビを解消して畠中さんはその後3年ほどピン芸人でいたそうです。

その後に、現在の相方の伊藤俊介さんとコンビを組み「オズワルド」が誕生したのです。

その後のご活躍で今に至っているのです。

今後もオズワルド、そして畠中悠さんの活躍から目が離せませんね。

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